新潟駅
新潟駅(にいがたえき)は、新潟県新潟市花園一丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅。本州日本海側最大の都市・新潟市の中心駅。上越新幹線の終点である。
利用可能な鉄道路線
東日本旅客鉄道 上越新幹線 信越本線 白新線 越後線
駅構造
地上駅。みどりの窓口設置の有人駅。駅弁も販売されている。 在来線ホームは地平部にあり、相対式1面、島式3面6線の計4面7線。4つのホームは2本の跨線橋(南口への連絡通路を兼ねる)と1本の連絡地下道で連絡している。 方面別の振り分けは特に決まっていないため、利用の際は注意が必要である。 特急「いなほ」は主に6・7番線から発着する。 上越新幹線ホームは南口駅舎の高架部3階にあり、島式2面4線。 熊谷以北の駅で唯一、通過本線を持たない。 早朝・夜間は発着とも、南口側の13・14番線のみが使用される。 駅のエントランスは、大きく分けて南北2箇所。 元々のエントランスで、北側にある1番線に面しているのは「万代口(ばんだいぐち)」。南口開設に際して区別するため、万代橋(現表記は「萬代橋」)側にあることから、この愛称が付けられた。 万代口1階には、みどりの窓口、券売機の他、旅行センター、飲食店、立食いそば店等がある。他、駅ビル「パティオ万代」(地下1階にもフロアあり。連絡地下道に直結する改札口が設置されている)、待合室内には「メディアステーションbanana」がある。またJR東日本新潟支社、JR貨物新潟支店も万代口の駅舎内に置かれている。 上越新幹線開通前に整備されたのは「南口」。 新幹線ホーム下にあたる高架部の2階にあり、駅の南北を結ぶ東西2本の自由通路に各1箇所と、中央口の計3箇所にエントランスが設けられており、東口・西口の2つの改札口が設けられている。それぞれ、みどりの窓口、券売機、売店等が設置されている。東側自由通路には駅ビル「バティオ東」「セゾン・ド・ニイガタ」、西側自由通路には「パティオ西」「ヨドバシカメラ新潟店」がある。 南口側、駅舎とロータリーの間の地平部は駐車場となっているが、この箇所にはかつて、新潟支社管内の気動車基地である「新潟運転所」が置かれていた。 新潟発着の3路線のうち、下記区間の普通列車は昼間20分間隔での運転となっている。 信越本線:新潟~新津間- 新津~長岡間は、概ね60分間隔
- 豊栄~新発田間は20~40分間隔
- 内野~吉田間は60分間隔
駅周辺
万代口側
万代シテイ・・・徒歩約7分 萬代橋・・・徒歩約9分 佐渡汽船フェリーターミナル・・・バス約10分 新日本海フェリー・・・バス約20分
南口側
プラーカ・・・南口すぐ(但し3棟のうち、プラーカ1・2の店舗部分は休業中) 新潟スタジアム(ビッグスワン)・・・バス約15分 新潟市鳥屋野運動公園野球場・・・バス約15分
歴史
新潟駅設置に至るまで
現在の新潟市域で最初に開業した鉄道駅は、当時の中蒲原郡沼垂町竜が島に設けられた沼垂駅(ぬったりえき、現・貨物駅)で、1897年11月20日に北越鉄道・沼垂~一ノ木戸(現・東三条)間が開業した際に開設された。当時、信濃川を挟んで西側の新潟市と、東側の沼垂町とは鉄道の敷設で壮絶な誘致合戦を繰り広げたが、当時の信濃川の川幅は約1kmと広く、鉄橋の建設に莫大な資金がかかることがネックとなったことから、萬代橋を渡ってすぐのところにある沼垂町流作場(りゅうさくば、現在の新潟市万代・弁天にあたる)に「新潟駅」を設けるという折衷案で一旦は合意した。しかし、北越鉄道は地代が高い事を理由にこれを事実上拒否し、沼垂町竜が島に設けた「沼垂駅」を終着駅とした。新潟市側ではこれに対する反対運動が起こったものの、政府の認可が下りたことから、市側の「鉄道同志会」の構成員の一部が行動を過激化し、鉄道開業を控えた1897年11月11日の早朝、新栗ノ木川の鉄橋に爆弾を仕掛ける騒ぎにまで発展した。 その後も市民の鉄道誘致運動が続き、それが結実して1904年5月3日、現在の弁天一丁目、弁天公園・新潟東映ホテル付近にあたる位置に開業したのが、初代の新潟駅である。
1935年には、木造2階建ての2代目駅舎に建て替えられた。
現在地への移転
第二次世界大戦後の混乱が落ち着いた頃、手狭になった新潟駅の移転新築と、新潟市内の国鉄路線網の整理が計画された。沼垂駅を出発した新津・新発田方面からの列車は、沼垂の市街地を南西に大きく迂回して新潟駅に到着するという、線形の悪さによる時間ロスの大きさが、かねてから問題となっていたのだ。そこで当時、信越本線と越後線を結んでいた貨物支線上に新しい新潟駅の駅舎を建設し、3路線をこの駅に統合することとなった。駅舎は地上2階・地下1階、広さは旧駅の約6倍、地下商店街も設置されるというもので、当時としては大規模な計画だった。1956年1月10日に着工。建設地は水田などに近い湿地帯だったため、施工は慎重を期して行われ、工事費4億円、2年の工期を経て、1958年4月29日に3代目駅舎が完成した。
しかし、1961年には駅舎内にあった国鉄新潟支社の仮庁舎から出火し、支社部分はほぼ全焼。これを機に1964年に開催される新潟春季国体に合わせ、地上4階建・一部6階建に増築されることとなり、改築工事は1963年に竣工した。これが現・万代口駅舎の原型である。
駅及び周辺路線の歴史
1904年5月3日 北越鉄道・沼垂~新潟間が延伸開業した際に開設 1935年4月1日 駅舎改築(2代目駅舎) 1943年11月1日 信越本線(貨物支線)・新潟~関屋間が開業 1951年4月5日 信越本線(貨物支線)・亀田~万代間開業 1951年6月25日 新潟~関屋間の旅客営業を開始 1951年12月15日 関屋~新潟間を越後線に統合 1956年4月15日 白新線・沼垂~葛塚間が開業し、全線開通 1958年4月29日 新潟付近を現在のルートに変更、現在地に移転開業。同時に信越本線・上沼垂信号場~新潟間が複線化 1961年1月14日 国鉄新潟支社仮庁舎が火災により焼失 1961年12月22日 駅舎部分の増築が完了、4階建てとなる 1962年5月20日 信越本線・長岡~新潟間が電化 1964年6月16日 新潟地震で被災、駅舎・ホームが一部損壊。駅東側の道路に掛かる笹口跨線橋(現・東跨線橋)の倒壊、沿線各地の路盤陥没などで路線網が寸断され、数日間にわたって新潟駅発着の全列車が不通に 1965年8月20日 信越本線(貨物支線)・新潟~万代(貨)間が廃止 1972年8月5日 白新線が全線電化 1981年7月28日 白新線・上沼垂信号場~新潟間が複線化 1982年5月20日 南口駅舎の使用を開始 1982年11月15日 上越新幹線・大宮~新潟間が開業 1989年3月30日 西側自由通路が開通、歩行者・自転車の駅の南北往来が24時間可能となる 1990年代前半 新潟運転所が新津駅構内に移転 2001年10月1日 万代口待合室が改装、「メディアステーションbanana」開設
隣の駅
;東日本旅客鉄道(JR東日本)関連項目
日本の鉄道駅一覧
外部リンク
JR東日本新潟支社 新潟駅・構内図(えきねっと) メディアステーションbanana(万代口待合室) セゾン・ド・ニイガタ(駅パラ) パティオ東(駅パラ) パティオ万代(駅パラ) 新潟駅周辺整備