東久邇宮稔彦
東久邇宮 稔彦(ひがしくにのみや なるひこ、1887年12月3日 - 1990年1月26日)は、皇族初の内閣総理大臣(第43代、在任1945年8月17日 - 1945年10月5日)。
久邇宮朝彦親王の第九王子で、1906年に明治天皇の特旨により東久邇宮家を創立し、1915年に明治天皇の第九皇女、聡子内親王(のち東久邇聡子)と結婚した。軍歴は1914年に陸軍大学校を卒業し、大将にのぼった。
第二次世界大戦終戦直後、戦後最初の首相となり(陸軍大臣を兼務)、降伏文書の調印や陸軍大臣を兼務して陸軍解体など、敗戦処理を任務としたが、民主化政策の遂行を怠ったことなどにより、GHQから「政治的・民事的・宗教的自由に対する制限撤廃の覚書」を突き付けられ、それを実行できないとして翌日総辞職した。在任期間54日は、日本の史上最短である。
1947年10月14日に皇籍を離脱し、以降は東久邇稔彦と名乗った。1950年4月15日に新興宗教「ひがしくに教」を開教したが、同年6月、法務府により、「ひがしくに教」の教名使用の禁止を通告された。その後、色々な事業を行なったが、いずれも成功はしなかった。
参考文献
広岡裕児 『皇族』 ISBN 4643980745 ISBN 4122039606
外部リンク
第88回帝國議会(臨時会)戦争集結ニ至ル経緯竝ニ施政方針演説(1945年9月5日) 家系図 久邇宮家 東久邇宮家
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