浸礼
浸礼とは洗礼と異なり、神への献身の象徴で、神との密接な良い関係を求める願いを表明すること。浸礼と訳されるギリシャ語のバプティスマは、『浸す』という意味の動詞バプトーから派生した語である。
浸礼の意義
マタイ28章19,20節には「行って、すべての国の人々を弟子とし、父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し、わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行うように教えなさい」とある。イエスはこの言葉を使徒たちに語られたのだから、これが幼児洗礼をさしていないことは明らかである。バプテスマ(浸礼)に、神の言葉に関する理解と、啓示された神のご意志を行なうために自らを差し出すという理性的な決定が必要であることは、西暦33年のペンテコステの日に明らかになった。その場に集まっていたユダヤ人と改宗者たちは、すでにヘブライ語聖書に関する知識を持っており、ペテロがメシアなるイエスについて話すのを聞いた結果、3,000人が「彼の言葉を心から受け入れ」、「バプテスマを受け(た)」。(使徒 2:41; 3:19‐4:4; 10:34‐38)ユダヤ教への改宗者で、篤信の人だったエチオピアの宦官も、そのような人として神と旧約聖書に関する知識を持っていた。彼はそれらの聖句がキリストに成就したことをまず聞いて受け入れ、それからバプテスマを受けることを望んだ。(使徒 8:34‐36)