文王 (周)
文王(ぶんおう ? - 紀元前11世紀ごろ)は中国周朝の始祖。姓は姫、諱は昌。創始者である武王の父にあたる。文王は商に仕えて、三公(特に重要な三人の諸侯)の地位にあり、父である季歴から周の地を受け継ぎ、仁政を行ってこの地を豊かにしていた。
この時の商王は暴君の代名詞紂王であった。ある時に昌と同じく三公の一人鄂公が残酷な殺され方をした事で思わずため息をついたが、これを紂のやり方に不満があると讒言された昌は羑里と言う所に幽閉された。この時、紂は昌の息子伯邑考を煮てスープを作って昌に飲ませようとした。あまりにも非道な嫌がらせであるが、昌はそれを何も言わず飲み干した。その後、昌は財宝と領地を帝辛に献上して釈放され、西伯(西の統括をする諸侯の事)に任じられた。
国許に帰った昌は紂王に目を付けられないようにしながら仁政を行った。ある時に虞とゼイという小国が互いの間の紛争の調停を頼むために周にやってきたが、周の人民はあぜを譲り合い、老人を敬する気風があったので、自分達がつまらない事で争っている事に二つの国の君主は恥ずかしくなって、昌に会わずに国許に帰った。
その後、領土を広げ、また太公望呂尚を軍師に迎えた。紂王の無道に見切りを付けた諸侯はみんな昌を頼るようになったが、最後まで商の臣下としてあり続けた。死後息子の武王が文王の積み上げた物を基盤として商を倒し、周王朝を立てた。武王は姫昌に対し文王と追号した。後世、特に儒家からは武王と並んで聖王として崇められ、為政者の手本となった。
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