池田大作
池田 大作(いけだ だいさく、1928年1月2日 - )は、東京都出身の宗教家。富士短期大学経済学科卒。創価学会会長 (1960 - 1979)、創価学会インタナショナル (SGI) 会長 (1975 - ) 、創価学会名誉会長 (1979 - )、法華講総講頭(1964-79、84-90)。 1950年、池田太作から池田大作へ改名。 「山本伸一」と「法悟空」の筆名を持つ。
出身
池田大作は、東京都大森の貧しい海苔業者の息子として生まれた。父、池田子之吉については不明な点が多いが、遺体は真言宗の寺院に埋葬されている。
創価学会に於ける位置づけ
創価学会会則(2002年4月1日施行)前文には、「池田大作第三代会長は、日本のみならず世界に日蓮大聖人の仏法を弘通し、更に仏法の理念を平和・文化・教育などの分野に展開して、仏教史上初めて世界広宣流布の道を開いたのである」と記している。さらに、第3条では「牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の「三代会長」は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である」とし、同会の隆盛の基板を作った指導者として位置づけられている。「三代会長」の1人で唯一の現存者でもある池田を指して「先生(せんせい)」と呼称するのが創価学会の会員のなかでは広くおこなわれている。創価学会をカルト団体と捉える立場からは、池田を「偉大な指導者として信仰の手本とするよう、徹底的な個人崇拝の対象としている」、また池田が「創価学会のあらゆる行動に対して指導力を発揮し、創価学会の会員を救済する無謬の『カリスマ』としての役割を担っている」という指摘がある。現状の創価学会においては、池田を「崇拝」するという成文化された教義は存在せず、創価学会の会員を「救済」するともされていない。しかしながら、現実の創価学会においては、池田が会員にとっての「カリスマ」として特別視され、個人崇拝の対象になっているのも事実である。
行動とその評価
約20年間の会長在任期間中、創価学会は強力な布教活動に邁進して信者数を増大させ、海外進出も果たして大きく拡大した。その勢力拡大の過程では、強引で独善的、ときには物理的暴力を伴ったいわゆる「折伏」が社会問題となり、また「財務」と呼ばれる会員から創価学会への金銭の流れが問題視されるなど、創価学会と指導者池田への批判が強まった。池田はまた、早い時期に日中国交回復を唱え、その実現に尽力した一人でもある。池田大作の行動は、「対話」によって特徴づけられ、この「対話」が世界の「平和」や教育・文化の振興に果たしている意味は日本国内で認識されているよりもはるかに大きい、と創価学会側では強調している。周恩来(元中国首相)、ミハイル・ゴルバチョフ(元ロシア大統領)、マヌエル・ノリエガ(元パナマ首相)などの国家元首級の政治家、ルネ・ユイグ(美術史家)、アーノルド・J・トインビー(歴史家・対談集『二十一世紀への対話』は24言語に翻訳出版され海外の大学の教材にもなっている、と学会側は宣伝している)、ユーディ・メニューイン(音楽家といった識者などとの幅広い「対話」を精力的につづけている。 日本国内における池田への批判は、池田があまりにも偉大なために「島国根性」の日本人はその偉大さを理解できず「嫉妬」しているからだ、と創価学会側は機関紙『聖教新聞』等でことあるごとに言っている。
年表
1928年(昭和3年)1月2日 現在の東京都大田区大森に生まれる。 1947年(昭和22年)8月24日 日蓮正宗の信徒となる。19歳の時、当時の創価学会理事長であった戸田城聖(後の第2代創価学会会長)に出会って歴史的な出会いをしたと小説に書かれているが、実際は全く別物で池田氏みずから小口偉一氏のインタビュー『宗教と信仰の心理学』で折伏された時の様子を語っている。戸田の経営する出版社「日本正学館」に入社したが、その後、出版事業の不振にともない、戸田が新しく始めた東京建設信用組合への出向。池田は戦前の創価教育学会員や、個人的な知り合いなど、誰彼問わず訪ねては、カネを貸すよう頼み回った。信用組合は取り立てにからんで、刑事事件までひき起こしていた。 1950年(昭和25年)8月 東京建設信用組合は大蔵省から営業停止を命ぜられ破綻。池田は戸田と2人で債権回収に奔走する。免責後、事業の再建を図るべく小口金融会社『大蔵商事』(現『日章』)を興し池田は営業部長として辣腕を振るう。 1957年(昭和32年)7月3日 公職選挙法違反の疑いで自宅にて逮捕される「大阪事件」。 1960年(昭和35年)5月3日 第3代会長に就任。戸田より次の指導者として指名を受けた石田次男氏を学会から追い払い、独裁体制を確立。 1962年(昭和37年)1月25日 いわゆる「大阪事件」で「調書作成の段階で捜査に行き過ぎがあった」ため、選挙違反の事実を全面自供した調書が証拠不採用となり、無罪判決が言い渡される(池田の選挙違反の事実の有無については結局不明のままに終わった)。 1975年(昭和50年)1月26日 創価学会インタナショナル (SGI) 発足に伴い、会長に就任。 1979年(昭和54年)4月24日 会長職を北条浩に譲り、名誉会長に就任。 1991年(平成3年)11月28日 創価学会が日蓮正宗より破門される。 1992年(平成4年)8月11日 日蓮正宗より信徒除名処分。
創設
創価大学、創価女子短期大学、東京創価学園、関西創価学園、創価教育研究所、アメリカ創価大学、民主音楽協会、戸田記念国際平和研究所、東京富士美術館、ボストン21世紀センター、東洋哲学研究所、聖教新聞社、潮出版社、第三文明社、シナノ企画などを創立。
レイプ訴訟(信平訴訟)
1996年2月、創価学会の元女性信者が創価学会最高指導者池田大作氏から受けた、昭和48年、昭和58年、そして平成3年、の3度にわたったレイプ行為を告白。同年6月、レイプ行為などで精神的苦痛(恥辱)を受けたとして、池田氏に対して損害賠償請求訴訟を起こした事件。東京地裁民事二十八部(満田明彦裁判長)は、原告の求める事実審理、証拠調べを一度も行なわないまま、原告らが求めている請求のうち、信平信子さんの請求分全部と、信平醇浩さんの請求分のうち、昭和48年の強姦に基づく請求分を弁論から分離し終結、平成10年5月26日、3回の強姦は「除斥」「時効」にあたる(信平信子氏の請求分)とする中間判決を言い渡した。
従って本事件の真相は現段階では不明である。
受賞等
海外での受賞多数。世界から22の国家勲章。国連より国連平和賞(83.8)国連栄誉表彰(88.6)人道賞(国連難民高等弁務官事務所から)(89.6)平和貢献・事務総長表彰(89.10)など。モスクワ大学、ボローニャ大学などから150に及ぶ名誉博士号や名誉教授等の称号も贈られている。ほぼ連日何らかの受賞があり、機関誌『聖教新聞』に掲載される。 国内では主だった受賞、受勲は無い。この為、創価学会員の受勲は一種のタブーとされている。
主著
『人間革命』(全12巻)/『新・人間革命』/『法華経の智慧』/『青春対話』ほか多数。
趣味
写真撮影であると言われている。多くの写真作品が著書などに掲載されている。 ただし、公開される写真作品が、本人が撮影した物かどうかは不明。
外部リンク
創価学会による紹介 年表:戦後最大の宗教企業とその時代 指導者の実像
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