佐竹氏
佐竹氏(さたけうじ)は清和源氏の一支族。足利、新田、武田の各氏と同格に当たる。清和源氏の源義光の流れを汲む名族・佐竹氏は鎌倉時代よりの宿敵である小田氏との抗争や、さらには家臣ながら常に独立の機をうかがう江戸氏などの不穏分子のためと、一族間における家督をめぐっての内紛などもあって、常陸統一は困難な状況にあり、戦国大名化も遅れた。
佐竹氏十六代当主で『中興の祖』と呼ばれた名君・佐竹義篤の登場によって16世紀前半に常陸北部の統一に成功してようやく戦国大名化した。しかし、相変わらず江戸氏は不穏な動きを続け、また関東の制覇を目指す後北条氏の侵攻などもあって、常陸統一は非常に困難な状況にあった。
16世紀後半に現われた十八代当主・佐竹義重は『鬼義重』の異名をとる名将であった。この義重の時代に、佐竹氏は江戸氏や小田氏などの不穏分子を次々と破っていき、常陸の大半を支配下に置くことに成功し、一躍、全国屈指の戦国大名として飛躍することとなった。そして義重の子・佐竹義宣の時代に豊臣秀吉の小田原征伐に参陣して、秀吉より常陸54万石の大大名として認められることとなったのである。
しかし1600年、義宣は関ケ原の戦いにおいて西軍に与し(実際には、西軍にも東軍にも与するという曖昧な態度を取った)たため、戦後の1602年、徳川家康の命によって出羽久保田18万石に減移封されてしまい、ここに佐竹氏は鎌倉時代よりの常陸支配に終焉を迎えてしまった。
佐竹氏一族
佐竹昌義 佐竹隆義 佐竹秀義 佐竹義重 佐竹長義 佐竹義胤 佐竹行義 佐竹貞義 佐竹義篤 佐竹義宣 佐竹義盛 佐竹義憲 佐竹義俊 佐竹義治 佐竹義舜 佐竹義篤 佐竹義昭 佐竹義重 佐竹義宣 佐竹義廉 佐竹義久 佐竹義堅 佐竹義斯 佐竹義憲
佐竹氏主要家臣団
和田昭為 岡本禅哲 岡本顕逸 岡本宣綱 梅津政景 真壁氏幹