琉球
琉球(りゅうきゅう)
南西諸島の大半を占める地域。かつて存在した琉球王国(本稿で詳述)。
とくに琉球諸島。
現在の沖縄県の別名。(大琉球)
台湾島の旧名(小琉球)
琉球(りゅうきゅう)は、かつて沖縄島を中心に南西諸島の大半を占めた国・地域。薩摩藩の侵攻を受けるまでは、日本から独立した王国(琉球王国)であり、中国の冊封国であった。その領域は現在の沖縄県だけでなく鹿児島県の奄美諸島などにわたっていた。
「琉球」とは中国から与えられた呼称で、かつては台湾島を小琉球、沖縄島を大琉球と呼んでいたが史書などでも混同される事が多かった。明・清の時代あたりから台湾島は台湾と呼ばれるようになり小琉球という呼び名はあまりされなくなった。
日本では古来から「オキナワ(阿児奈波)」として知られていた。
古代
沖縄貝塚文化 港川人 グスク時代 遣唐使の航路
三山時代
14世紀に入ると各地の按司を束ねて三つの国にまとまった。南部の南山,中南部の中山,北部の北山である。いずれも中国の明帝国に朝貢し交流を深めたが,その中から中山が勢力を増し,統一への動きを見せた。
琉球王国の成立
15世紀初頭に第一尚氏の尚巴志が国王となって沖縄島を統一したが王統は長くもたず,15世紀後半には第二尚氏の尚円王が即位,1472年に明の皇帝から冊封を受けた。 16世紀初頭に尚真王が琉球諸島を統一。
琉球王国の海外貿易
15世紀から16世紀前半にかけて、琉球王国は中国の福建に拠点をもち、明王朝と朝貢貿易を行ったほか、日本本土の諸港にも交易船を送った。またマレー半島のマラッカ王国、パタニ王国、タイのアユタヤー王朝など東南アジア諸国とも活発な外交・貿易を展開した。明王朝の海禁政策の間隙を突いて中国と東南アジアとの中継貿易を行ったものだが、16世紀後半には明が中国船の海外渡航を許可(日本を除く)し、中国商船が活発に東南アジア諸港で活動を始めたため、琉球と東南アジアとの交易は衰退した。この時代の記録は歴代宝案として残されている。
日清両属
1609年、第二尚氏七代尚寧王のときに、江戸幕府の許しを得た島津氏に侵攻・占領されて奄美地方を奪われた(島津侵入事件)。薩摩藩の服属国となって貢納を義務付けられたが、清にも朝貢を続け、薩摩藩は琉球が清との交易で得た利益で潤った。薩摩藩は江戸へも琉球の使節を連れたが、彼らを中国からの使者だと偽り、服装も中国風のものを着させた。そして日清両属のまま琉球は明治を迎えた。
琉球処分
明治五年(1872年)、日本の明治政府は琉球王国を廃止して琉球藩を設置。明治十二年(1879年)、政府は琉球藩を廃して沖縄県を設置。明治政府のもとで琉球は中央集権的近代日本国家に組み入れられていった。これにより、琉球王国は名実ともに滅亡した。しかし清はこの日本政策に反発、琉球は古来清に服属していたものとして、琉球の領有権を主張した。日本は琉球領有の正当化のため、台湾原住民による琉球漁民殺害の報復として1874年に台湾出兵を行なった。また日本政府は、先島諸島の清への割譲を申し出たが清は態度を変えず、結局領有論は日清戦争後にまで持ち込まれた。
関連事項
琉球国王の一覧
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