神秘主義
神秘主義とは、直接体験によってしか知る事ができない『神秘』があるするもので、それを知るための技法や体系などを含む。その神秘には、神や真理や存在などや、それに連なることがらが含まれる。またさらに、体験する事も、知る事もできない神秘が最終的にのこるとする場合もある。一般的なことがらは、それを表現して伝える事ができるが「神秘」は既存のこととの関連で表現したりすることができないとされる。すなわち、「神秘」は知識として記録する事もできず、本人が直接知る事によってのみなされる。
例えば、光を見た事のない人に、光を見るのがどんな感じなのかを伝える事は難しい。光を見るという体験を、その他の感覚、聴覚や触覚、味覚、嗅覚で説明することは出来ない。そのようなものだといわれる。
多くの場合、神秘を直接知るための体系が用意されていたり、神秘の周辺にある知識の体系が用意されていたりする。また神秘を直接知っている人物を神秘家と呼ぶ。神秘は協力者なしでも知る事ができるが、神秘家の協力があるとより容易になるといわれる。
ただし、外部のものが協力できるのは、あくまでその準備だけであり、準備が整った後は偶然が起きるのを待つしかないともいわれる。準備なくして偶然が起き、神秘を知るに至った人々もあるが、多くの場合はその準備が役にたつ。
神秘を知るための体系は、多くの場合過去の宗教の一部となっていることが多い。多くの場合、宗教は神秘家、神秘を知った人によって始められる。または、神秘家によって与えられた技法や体系から宗教が作られる場合が多い。
例えば、仏教において「悟り」や「大悟」は、直接体験のみによって得られるし、キリスト教などでも「神との合一」や「キリスト体験」なども直接体験によってのみ得られる。
また、「自分は何なのか?」という神秘的質問も直接体験によってのみ答えられる。それは他の誰かが示してくれることは出来ないといわれる。