物質
物質(ぶっしつ)とは物理学的には、分子や原子が集まって、構成される様々な存在だとされる。分子や原子は質量と体積を持つため、物質は必ず質量と体積をもつ。構成要素と環境条件によって、固体、液体、気体(物質の三態)など異なる様相を呈する。これは物質は「触れるモノ」であり観念などと違う、という日常的な直感ともかなりよく対応する。また、物質は変化、現象、出来事などと区別されることも多い。 変化は物質に生じるひとつの出来事、現象でありうるが、変化自体は物質ではない。ある現象やある出来事も、そこに物質が関与していることはあるが、それ自体としては物質ではない。物質はそうした現象や出来事が起こる場や対象のような位置を占めている。日本語ではこの区別は物と事の区別として比較的日常的に用いられているように思われる。
物質についてのこのような特徴は、物質の微小なレベルでは必ずしも成り立たないとされる。物質の構成要素である分子や原子をさらに分解して行くと確認できる存在は、素粒子と呼ばれる。その一部は質量や体積を持たない。また、その存在の仕方は、物質と現象(より具体的には粒子と波動)の二重性を帯びているとされる。素粒子の中でも身近なものは光を構成する光子であろう。これらは観念などとは違って現実世界に属する物事であると考えるのが普通だ。また光は光子の移動なくしてはありえない。だが、光は固体、液体、気体などの様態をとることがなく、質量も大きさも持たない存在である。
但し、観念が物質の一種であるとされたり、物質と観念の区別がつけられない、とする考え方は稀である。例えば、大脳生理学などを通じて人間がりんごの赤さや甘さをどのように感じ取るのか、その物質的な過程についての細かな解明を進めることはできるだろうと多くの人が考える。だが、赤さや甘さの感触自体は脳内の物質ではなく、その変化でもないために、何故、ある特定の物質や現象が赤さや甘さの感受という経験に結びついているのかについてはわからないままに留まる。 より一般的には、人間は身体を持っており、物質的な存在だが、意識や自意識といった部分については物質や物質の変化の一種として捉えられないのではないか、という漠然とした疑問がある。
関連する用語や概念
物理学では、現存する物質とある種対称的な性質を持つ物質を反物質と呼ぶ。
哲学では、世界が物質だけからなる、すべての物事は物質的作用として理解できる、などと考える立場を唯物論と呼ぶ。これとしばしば対比されるのが、物質に還元できない何かが世界を構成しており、物事に関与しているとする考え方でしばしば二元論と呼ばれる。物質や物質的な物事が何か幻か仮りそめの存在の類であるとする考え方もあり、これは観念論と呼ばれる。