甲骨文字
きり甲骨文字(こうこつもじ)とは、中国・殷(商)の時代の象形文字。亀の甲羅や牛の骨に刻まれている。この文字が組み合わされて洗練され、漢字が生まれたといわれている。殷の卜占これらの骨・甲羅などを火にくべて、その割れ目の形で占い、その結果を甲骨に刻み付けた。同じく占いの結果である金石文と比べると、日常的な事を占った物が多いようである。
発見までの経緯
金石文はかなり古くから研究が進んでいたが、甲骨文が発見・研究されるようになったのは19世紀末の事である。1899年、当時の清の国子監祭酒(日本で例えれば東京大学学長)であった王懿栄は持病のマラリアの治療薬として竜骨と呼ばれていた甲骨を薬剤店から購入してい、その骨に何か文字が書いてある事を発見して、驚いて薬剤店から竜骨を大量に買い集め、同じ事を知った研究者達も竜骨を買い集めたと言うのが良く言われる逸話である。ただしこの逸話が本当なのかどうかには疑問がある。と言ってもやはり研究が始まったのは1899年の前後である事は間違いなく、その先駆者も王懿栄で間違いない。
その後、甲骨を買い集める人が増えたのに目を付けて、何も書いていない骨に文字を刻み付けて売る事が多くあったと言われる。甲骨が出土していたのは殷墟(河南省安陽市の近郊、小屯村の近く)であり、かなり前から農民により発掘されていたが、価値を知らない農民は大部分を捨ててしまったと言う事である。
19世紀末期の中国古代史界では擬古派と呼ばれる『過去の記録を疑う』方針の考えが強かった。『史記』には殷の帝の系譜が並べられているが、これも全て架空の存在と考えられていた。所が発見された甲骨には『史記』とほぼ一致する帝の名前が確認された事で殷の実在性が疑いの無い物となった。
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