魯
せ魯(ろ)は、 中国の王朝名・地名。 中国人の姓の1つ。 魯西亜(ロシア)の略称。地名としての魯は、現在の中国山東省を指す。
以下、中国大陸に周代、春秋時代、戦国時代に渡って存在した国である魯について詳述する。
魯(ろ、紀元前1055年 - 紀元前249年)は、中国大陸に周代、春秋時代、戦国時代に渡って存在した国である。代々の魯公(魯の君主)は、侯爵であり、姓は姫(き)である。首府は曲阜。
周公旦(周王朝の開祖である武王の弟で、武王の子成王を補佐した。)が、武王に与えられた土地に建国した国。周公旦の子姫伯禽が、成王によって、封ぜられることによって、成立する。
春秋時代に入ってからは、晋・斉・楚といった周辺の大国に翻弄される小国となる。しかも、国内では、魯公室の分家である三桓氏が政治の実権を握り、国政は混乱した。
しかしながら、この混乱した小国が思想史・文化史にはたした役割は大きい。周王朝の礼制を定めたとされる周公旦の伝統を受け継ぎ、魯には古い礼制が残っていた。この古い礼制をまとめ上げ、儒教として、後代に伝えていったのが、魯の出身である孔子であり、その一門である。孔子が儒教を創出した背景には、魯に残る伝統文化というものがあったからともいえる。
国としての魯は、ますます衰退し、事実上三桓氏に分割されてしまう。魯公室は細々と生き残るが、紀元前249年に楚に併合され、滅亡した。