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聖徳太子

聖徳太子(しょうとくたいし、敏達天皇3年1月1日574年) - 推古天皇30年2月22日622年4月8日))は飛鳥時代に活躍した日本の政治家。(621年2月5日没とする説あり)

父は用明天皇、母は欽明天皇の娘である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。 本名は厩戸皇子(うまやどのおうじ、うまやどのみこ)。これは厩戸の前で出産と伝えられることより。別名、豊聡耳(とよさとみみ、とよとみみ)、上宮王(かみつみやおう)とも呼ばれた。古事記では上宮之厩戸豊聡耳命と表記される。日本書紀では厩戸皇子のほかに豊耳聡聖徳豊聡耳法大王法主王と表記されている。聖徳太子という名は生前に用いられた名称ではなく、没後の贈り名。

実績

592年推古天皇が即位すると、その甥である聖徳太子は皇太子となり、翌593年摂政となり天皇を補佐した。

596年(推古3)太子、高句麗の僧彗慈を師とする。

603年冠位十二階を定め、604年には憲法十七条を制定。天皇を中心とする中央集権体制の確立を目指した。

604年(推古12)に国家の基本とした憲法十七条を作った。

夏四月の丙寅の朔戊辰の日に、皇太子、親ら肇めて憲法十七條(いつくしきのりとをあまりななをち)つくりたまふ。
一に曰く、和(やわら)ぐを以て貴しとし、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。(略)
二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝はとは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。(略)
三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め。君をば天(あめ)とす、臣を地(つち)とす。(略)
四に曰く、群臣百寮、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのわ)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。(略)
五に曰く、饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁(さだ)めよ。(略)
六に曰く、悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むるは、古の良き典(のり)なり。(略)
七に曰く、人各(おのおの)任(よさ)有り。(略)
八に曰く、群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。(略)
九に曰く、信は是義の本なり。(略)
十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)をすてよ。(略)
十一に曰く、功と過(あやまち)を明らかに察(み)て、賞罰を必ず当てよ。(略)
十二に曰く、国司・国造、百姓に収斂することなかれ。(略)
十三に曰く、諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ。(略)
十四に曰く、群臣百寮、嫉み妬むこと有ることこと無かれ。(略)
十五に曰く、私を背きて公に向くは、是臣が道なり。(略)
十六に曰く、民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。(略)
十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆と論うべし。(略)
(『日本書紀』第二十二巻 豊御食炊屋姫天皇 推古天皇十二年)

夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親肇作憲法十七條。 一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。 二曰、篤敬三寶。々々者佛法僧也。則四生之終歸、萬國之禁宗。何世何人、非貴是法。人鮮尤惡。能教従之。其不歸三寶、何以直枉。 三曰、承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆臣載。四時順行、萬気得通。地欲天覆、則至懐耳。是以、君言臣承。上行下靡。故承詔必愼。不謹自敗。 四曰、群卿百寮、以禮爲本。其治民之本、要在禮乎、上不禮、而下非齊。下無禮、以必有罪。是以、群臣禮有、位次不亂。百姓有禮、國家自治。 五曰、絶饗棄欲、明辨訴訟。其百姓之訟、一百千事。一日尚爾、況乎累歳。頃治訟者、得利爲常、見賄廳讞。便有財之訟、如右投水。乏者之訴、似水投石。是以貧民、則不知所由。臣道亦於焉闕。 六曰、懲悪勸善、古之良典。是以无匿人善、見-悪必匡。其諂詐者、則爲覆二國家之利器、爲絶人民之鋒劔。亦佞媚者、對上則好説下過、逢下則誹謗上失。其如此人、皆无忠於君、无仁於民。是大亂之本也。 七曰、人各有任。掌宜-不濫。其賢哲任官、頌音則起。姧者有官、禍亂則繁。世少生知。剋念作聖。事無大少、得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此國家永久、社禝勿危。故古聖王、爲官以求人、爲人不求官。 八曰、群卿百寮、早朝晏退。公事靡監。終日難盡。是以、遲朝不逮于急。早退必事不盡。 九曰、信是義本。毎事有信。其善悪成敗、要在于信。群臣共信、何事不成。群臣无信、萬事悉敗。 十曰、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。々各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理、詎能可定。相共賢愚、如鐶无端。是以、彼人雖瞋、還恐我失。、我獨雖得、從衆同擧。 十一曰、明察功過、賞罰必當。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿、宜明賞罰。 十二曰、國司國造、勿収斂百姓。國非二君。民無兩主。率土兆民、以王爲主。所任官司、皆是王臣。何敢與公、賦斂百姓。 十三曰、諸任官者、同知職掌。或病或使、有闕於事。然得知之日、和如曾識。其以非與聞。勿防公務。 十四曰、群臣百寮、無有嫉妬。我既嫉人、々亦嫉我。嫉妬之患、不知其極。所以、智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以、五百之乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治國。 十五曰、背私向公、是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同、非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云、上下和諧、其亦是情歟。 十六曰、使民以時、古之良典。故冬月有間、以可使民。從春至秋、農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。 十七日、夫事不可濁斷。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事、若疑有失。故與衆相辮、辭則得理。 (『日本書紀』第二十二巻 豊御食炊屋姫天皇 推古天皇十二年)

607年小野妹子に送った。

高麗の僧慧慈を師として仏教を厚く信仰し、法隆寺を建立した。

日本銀行券にデザインされた。

墓所

墓所は大阪府南河内郡太子町の叡福寺にある「叡福寺北古墳」が宮内庁により比定されている。しかし、実際は後世になって太子信仰がさかんになったときに定められたものと考えられ、信憑性は定かではない。

聖徳太子の著作

• 三経義疏(さんぎょうぎしょ) • 天皇記 • 国記

• 上宮聖徳法王帝説

聖徳太子架空説

一部の学者は聖徳太子の存在を否定している。実在を示すとされる史料の使用語彙で推古天皇の時代に使われていないものがあることを根拠にしているという。聖徳太子が建立したとされる法隆寺金堂薬師如来像光背銘文中の「仕奉」の語彙が使用され始めるのは7世紀末であり、銘文はそれ以降の創作であると主張する。

ただし、実在を否定する決定的な史料は無い。

聖徳太子にまつわる伝説

以下は、聖徳太子にまつわる伝説的なエピソードのいくつかである。

なお、聖徳太子の事績や伝説については、それらが主に掲載されているの編纂が既に死後一世紀近く経っていることや記紀成立の背景を反映して、相当の脚色が加わっていると思われる。そのため様々な研究・解釈が試みられている。また、各地に聖徳太子が建てたという寺院が多いが、後世になって縁起が創作されたものが多いと思われる。

豊聡耳

厩戸皇子があるとき、人々の請願を聞く機会があった。我先にと口を開いた請願者の数は十人にも上ったが、皇子は全ての人が発した言葉を漏らさず理解し、的確な答を返したと言う。この皇子の聡明さを讃えて、これ以降皇子は豊聡耳とも呼ばれるようになった。

四天王寺

蘇我氏と物部氏の戦いにおいて、蘇我氏側である聖徳太子は戦いに勝利すれば、寺院を建てると四天王に誓願を立てた。見事勝利したので、難波に四天王寺を立てた。 (スタブ)

出生の伝説について

「厩の前で生まれた」「母の間人皇女は救世観音が胎内に入り、皇子を身ごもった」などの太子出生伝説に関して、「記紀編纂当時既に中国に伝来していた景教(キリスト教ネストリウス派)の知識が日本に伝わり、その中からイエス・キリスト誕生の逸話が貴種出生譚として聖徳太子伝説に借用された」との可能性を唱える研究者もいる。
さらに空想をたくましくして古代イスラエル民族との直接の関連性を唱える極端な仮説も存在する。

しかし一般的には、当時の国際色豊かな中国の思想・文化が流入した影響と見なす説が主流である。ちなみに出生の西暦574年は甲午(きのえうま)の年であるし、また古代中国にも観音や神仙により受胎するというモチーフが成立し得たと考えられている(イエスよりさらに昔の釈迦出生の際の逸話にも似ている)。

聖徳太子天皇説

聖徳太子は実は天皇だったという説もある。それは、聖徳太子の両親に当たる用明天皇と穴穂部間人皇女は異母兄妹であり、兄妹婚で生まれて、即位したという例がない。『日本書紀』の編者の改竄ではないかという説である。

『隋書』倭国伝に「姓は阿毎(あめ)、字(あざな)は多利思比孤(たりしひこ)、阿輩雞弥(おおきみ)と号す。」とみえる。この時の天皇は推古であり、太子ではなかったにもかかわらず、遣隋使小野妹子がこう(男王として)答弁したと記録していることから、この説が出てきている。

天皇制の正当性を目指して編纂されたと思われる『日本書紀』が天皇まで入れ替えたのか。

聖徳太子が登場する作品

小説

黒岩重吾 『聖徳太子 日と影の王子 上・下』(文芸春秋 1987年)

漫画

• 『日出処の天子』(山岸凉子) • 『聖徳太子』([[池田理代子]) • 『学研まんが人物日本史 大和時代 聖徳太子―仏教伝来と法隆寺(ムロタニツネ象) • 『聖徳太子』(滝沢解原作・ふくしま政美画)

ドラマ

• 『聖徳太子』(2001年、NHK) 脚本:池端俊策、厩戸皇子(本木雅弘)  

関連項目

七星剣:聖徳太子が佩刀していたとされる。 • 丙子椒林剣:上記に同じ。


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