青函トンネル
青函トンネル(せいかんトンネル)は、津軽海峡の海底下約100mの地中を穿ち、青森県東津軽郡今別町浜名と北海道上磯郡知内町湯の里を結ぶJR北海道の鉄道トンネル。2003年現在世界一の長さを誇る。全長が約53.9Km(もう少し正確には53.85Km)であることから、ゾーン539と愛称が付けられている。
青函トンネルを含む区間は海峡線となっており、北海道函館市~青森県青森市間を結ぶ津軽海峡線の一部である。
概要
長大なトンネル内の安全設備として、列車火災事故などに対処するため、青函トンネル途中(海岸直下から僅かに海底寄り)に消火設備や脱出路を設けた定点という施設が2箇所設置された。これは1972年に国鉄北陸本線の北陸トンネル内で発生した列車火災事故を教訓にしたものである。開業後、この定点をトンネル施設の見学ルートとしても利用することになり、吉岡海底駅と竜飛海底駅と命名された。この二つの駅は、見学を行う一部の列車の乗客に限り乗降できる特殊な駅である。
歴史
かつて青森駅と函館駅を結んだ鉄道連絡船として、国鉄により青函連絡船が運航されていた。しかし、1950年代には、朝鮮戦争によるものと見られる浮遊機雷がしばしば津軽海峡に流入、また1954年9月26日、台風接近下に誤った気象情報によって出航し、暴風雨の中、函館港外で遭難した洞爺丸他4隻の事故など、航路の安定が脅かされる事態が相次いで発生した。これらを受けて、太平洋戦争前からの構想が一気に具体化し、本土と北海道を地続きに結ぶ代替輸送手段として、「青函トンネル」と名付けられて非常に長期間の工期と巨額の工費を費やして建設された。 当初は在来線規格での設計であったが、整備新幹線計画に合わせて新幹線規格に変更されて建設された。しかし、トンネルが完成しても北海道新幹線建設の目途が全く立たない状況で、結局在来線として開業した。
2004年現在、海峡線は貨物輸送に重要な役割を果たす一方、旅客の減少が著しい。また海底にあるため施設の老朽化が早く、線区を管轄するJR北海道にとって大きな問題になっている。
1961年3月23日 - 北海道側吉岡で斜坑の掘削開始 1967年3月24日 - 北海道側で先進導抗の掘削開始 1971年11月27日 - 本坑の起工式 1983年1月27日 - 先進導抗貫通 1985年3月10日 - 本坑貫通 1988年3月13日 - 営業開始
銘板
銘板の揮毫は、北海道側が開通当時の内閣総理大臣である中曽根康弘、本州側が開通当時の運輸大臣橋本龍太郎であった。ただし、銘板には「青函トンネル」ではなく「青函隧道」と書かれている。
ちなみに、揮毫した中曽根康弘が三公社民営化を悲願とし、橋本龍太郎が国鉄解体時の運輸大臣であったことから、国鉄の介錯役と目された政治家が揮毫した事になった。
記念発行物
記念切手 60円が1988年3月11日に発行された。 記念貨幣 500円白銅貨が1988年8月29日に発行された。
テレビ番組
NHKプロジェクトX「青函トンネル 友の死を越えて」