鉛筆
鉛筆(えんぴつ)は、筆記用具・文具の一種である。断面が円や六角形、三角形やまれに見る四角形などの木材の外面と、内側の黒鉛と粘土を混ぜて焼いた芯とで構成される。鉛筆で書いた線は消しゴムで消去でき、鉛筆の末端に消しゴムをつけたものも存在する。
芯の硬さの種類を表す記号がJIS(日本工業規格)で定められており、軟らかい方から順に6B、5B、4B、3B、2B、B、HB、F、H、2H、3H、4H、5H、6H、7H、8H、9Hの17種類が存在する。硬くなるほど粘土の割合が高くなる。なお、1990年代以降は「鉛筆は伝統があり、技術的に成熟して安定した産業」という理由でJISマークは表示しなくても良いという決定があり、現在の主な鉛筆からはマークが外れている。しかし多くの鉛筆はJIS規格に基づいて現在も製造されている。ヨーロッパでは硬さは9Bから9Hまである。
近年は、ノート用の筆記用具としてはより簡便なシャープペンシル(英:propelling pencil)にとって代わられた感がある。ただし、日本の小学校においては、学童に筆記の基本を学ばせる際、持ちやすさ、扱いやすさから鉛筆が推奨されている。
鉛筆の軟らかさや太さは美術のデッサンや鉛筆画などに適しており、広く用いられる。美術用には、顔料を油成分で固めて芯とした色鉛筆も用いられる。これは、通常の鉛筆の線が黒色であるのに対し、様々な色の線を描くための鉛筆である。色鉛筆の中でも特に赤鉛筆は原稿の校正や試験答案などの採点に広く用いられる。
「黒鉛」という物質名から「鉛筆には鉛が使われている」と信じている者があるが、誤りである。もっともこの俗説は、子供などが筆記中に鉛筆を舐めるような行為を止めさせるために、現在でも広く流布しているようである。
実際の黒鉛は炭素の結晶であり、近代以降の黒鉛鉛筆に重金属は用いられていない。
鉛筆は「Pencil」の訳であるが、この語の由来はラテン語でしっぽ(ペニス)のような筆という意味のペニシラムか、あるいは元々の原料であった鉛(plumbum;プルンブム)のどちらかに由来すると考えられている。名前の最初に「Pen」があるが、ペンとは語源は関係ないとされる。日本では明治初期には木筆などと呼ばれたが、のちにプルンブム由来説をとって鉛筆と呼ばれるようになった。lead pencil(鉛の筆)から訳語が作られたという説もある。
使用法
ヨーロッパでの鉛筆は基本的に削られた状態で市販されているが、日本及びアメリカの市販鉛筆は削られておらず、使用者の手で削る必要がある。削る作業には通常は鉛筆削りが使われるが、かつてはナイフが広く用いられていた。ナイフで削る場合、鉛筆の先端2cm程度を、この項目の写真のように先が細くなるように削る。芯の先も削り、尖らせる。通常、HBなどの硬さの表示のある方は削らない。こちらを削ると、使用時に硬さがわからなくなってしまう。両方を削ることを俗に「貧乏削り」と呼ぶことがある。
鉛筆専用の鉛筆削り器は、携帯用のものと卓上型のものがある。携帯用削り器の多くは金属かプラスチックの小片に平らな刃を斜めに固定した簡易なもので、鉛筆を削り穴に押しこみながら、鉛筆削りから見て反時計回りに回転させる。卓上型は現在は電動式のものが一般的で、押し込むだけで自動的に削られ、かつ、芯が尖ると自動的に動作を停止するものが多い。手動式は鉛筆を鉛筆削りに設置したあとハンドルを回すものであるが、鉛筆の位置決め・固定に若干のこつを必要とする。
使用して芯が木材から出ている部分が少なくなると、木材と芯を削る。削ることを繰り返すと、鉛筆が短くなり過ぎて持ちにくくなり、これが寿命となる。「鉛筆がちびる」などと表現される。「ちびた」鉛筆の長さを延長する金属やプラスチックの器具がある。短くなった鉛筆の削っていない側を差し入れて、筆記しやすくしたものである。保存用のキャップを兼ねた短い物と、延長専用の長い物がある。これらにも、消しゴムつきの物がある。
持つときは、6つある鉛筆の面のうち、1つおきに3つの面のみを指で持つ。右利きの場合、鉛筆のけずった部分から見て、時計回りに親指、人差し指、中指の3つの指で持つ。このとき、親指は爪の側から見て左側の指の腹で、人差し指も指の腹で支え、中指は爪の根元あたりで支える。指はあまり曲げないが、人差し指と中指を若干曲げる。鉛筆と記録する紙の成す角度は60°程度とする。このとき、手首から小指にかけての部分は紙に接触させる。
保存
経年変化により劣化することはないが、けずった鉛筆は、尖らせた芯の先が折れやすいので、専用の鉛筆キャップをつけて保護するか、ペンケース(日本語では筆入れとも言う)に収める。またはペン立てに立てる。この場合、けずった芯が上になるようにすることが多いが、これは、芯がペン立ての底部にぶつかって折れるのを防ぐためであり、ペン立てに立てた鉛筆のどれがけずってあるものかをわかりやすくするためでもある。鉛筆立ては、芯の先端が底にぶつかる形状でなく、円錐状の削った形状に合わせた穴で面として受けるか、先端部に穴が開いていて芯はそこに突き出すような形で直接当たらない構造にすれば折れない。製造物責任法(PL法)施行により、鉛筆の尖った先端を上にして挿す事で、その上に倒れ込んでけがをするのを防ぐ配慮から、上向きに挿そうとすると奥まで挿せずに倒れ、強制的に上向き挿しが不可能な構造にした鉛筆立てが設計された例がある。
記録物の保存
鉛筆で記録した紙は、数年経つと輪郭がぼやけ、こすったような感じになる。これは、鉛筆の芯の主成分である炭素は、紙の表面に付着するだけで、中までしみこまないことに由来する。これを防ぐには、表面をヘキサチーフのような透明塗料で覆い、炭素の粒子を固定する必要がある。ただし、インクのように経年変化により色が消えることはない。
歴史
古代、文字は鉛を動物の皮などにこすって記述した。のちに、細長い鉛と錫の合金(ハンダ)を用い、外側に木軸を巻きつけた、現在の鉛筆の原型がつくられた。これと同じ原理のものは、現在も美術家が使用している。やがて芯の部分が黒鉛に変わり、けずって使うようになったのが現代の鉛筆である。鉛筆はいつの時代もごく普通に使われたので、記述があまり残っていない。黒鉛を使った鉛筆が最初に記述に現れるのは、1565年、スイスのドイツ系博物学者コンラッド・ゲスナー (Konrad Gesner) の『とくに石と岩にふくまれる化石の形とイメージについて』である。ゲスナーが使用した鉛筆の本体は丸い筒状の木でできており、先端に黒鉛の小さな塊を詰めるものだった。黒鉛がなくなると新しいものを詰めた。本に記載するくらいには珍しかったようだが、記述によればゲスナー自身はしばらく前からこの道具を使っていた。野外で化石を記録する際、インクつぼの不要な鉛筆はゲスナーにとって大変に便利なものであった。
16世紀の終わりには、イギリスのボローデールでカンバーランド黒鉛鉱が発見され、鉛筆が作られるようになった。ゲスナーのものも、芯はカンバーランド産黒鉛である可能性が高い。1610年までには、ロンドンの市場で鉛筆は普通に売られていた。初期のものはゲスナーの使ったもののような、木や金属で作った軸の先に、黒鉛の塊を詰めるものだった。黒鉛を木ではさんだり、針金で巻いたようなものも実在した。
当初、消しゴムは発明されず、描いた線は主にパンで消していた。この消し方は現代でも一部の美術家が行っている。
2枚の細長い木の板の間に細長い黒鉛の棒をはさみ芯を固定した、今のようなけずって使う鉛筆は、1616年までに発明された。
記録に残るこの種の鉛筆の最初の製造業者は、ドイツのニュールンベルグに住むフリードリッヒ・シュテドラー(Friedrrich Staedtler)で、1662年に町当局に鉛筆製造許可願いを出したが、町はこの仕事は指物師のものだとして却下した。しかし、1675年には、シュテドラーと同業者は、鉛筆製造業者のギルドを作ることが許されるようになっていた。
けずって使う鉛筆は当初、芯は四角く、軸は8角形だった。ただし、初期は指物師が鉛筆を作ったので、製造者によっては丸や6角形のものを作った者もいる。長さは6インチまたは7インチで、幅と厚さは1/3ないし1/2インチだった。現代のものと大差ない。黒鉛はイギリス特産で、この時代、鉛筆はイギリス産のものが多く使われた。また、輸出産業を保護するため、しばしばイギリスは黒鉛を禁輸にし、完成品の鉛筆のみを輸出する政策をとった。イギリスの黒鉛鉱は19世紀までに掘り尽くされ、現在では中国、ブラジル、スリランカなどで地下から黒鉛を採掘している。初期の鉛筆は、芯は途中までしか詰められなかった。末端部分までけずってしまうと持てなくなるので、捨てる部分には芯を入れなかったのである。この工夫は19世紀まで続いた。
鉛筆が普及し、黒鉛が不足すると、黒鉛を節約し、黒鉛くずも活用する方法が考えられた。最初の工夫は1726年までにドイツで開発された。黒鉛くずと硫黄をまぜて溶かすというものだったが、書くときにひっかく感じがあり、のちにカルノー式鉛筆が登場するとすぐになくなった。しかし、20世紀の終わりに、日本で伊達政宗の墓所・瑞鳳殿から鉛筆が発見された。これはゲスナーの使ったのとほぼ同じ構造だったが、芯は練って作ってあった。伊達の鉛筆は1636年までには製造されていたと考えられるため、練って作る芯の使用は少なくとも90年はさかのぼることになった。
日本には、17世紀に製造された鉛筆として、伊達の鉛筆のほか、徳川家康の鉛筆も残っている。これについては後述する。
1793年、イギリスとフランスの間で戦争がおきると、フランスに黒鉛と鉛筆が入らなくなった。戦争大臣のラザール・カルノー (Lazare Carnot) は、技師のニコラ・ジャック・コンテ (Nicholas-Jacques Conte) に代替品の開発を命じた。1795年、コンテは、黒鉛と粘土を混ぜて焼いて作る、現在と同じしくみの芯を開発した。カルノーの開発した方法では、黒鉛が非常に節約でき、黒鉛くずも利用できた。また、粘土の量によって書く文字の色の濃さも変化させることができるようになった。
アメリカのハイマン・リップマン (Hyman L. Lipman) は、1858年3月30日、消しゴムをニカワで鉛筆に固定させる消しゴム付き鉛筆を発明した。リップマンはこの特許をジョセフ・レケンドーファー (Joseph Reckendorfer) に10万ドルで売り莫大な富を築いた。エヴァーハード・ファーバー (Eberhard Faber) はこの特許の前に、金属片を押し付けて鉛筆に消しゴムをつける方式を考案し、別に特許をとった。この2者の間で特許紛争となったが、連邦最高裁は両方の特許を無効とする判決を下した。
鉛筆削りは19世紀の終わりに発明された。ポケットに入れられる小さなものが若干早く市場に出た。机に設置する大きなものは少し遅れて開発された。当初は、ハンドルを回すことによってヤスリが回転するというしくみだった。
1870年代までは、鉛筆の芯は四角のままだった。また、19世紀中ごろまでは、鉛筆の形も8角形のものが主流で、外見は17世紀のイギリスのものからほとんど変化しなかった。19世紀末までには、鉛筆の形は丸、6角形または3角形になり、芯も丸くなった。8角形で芯が四角いものは、工程上、芯が中央からずれる場合があり、その場合鉛筆削りではうまく削れなかったのでしだいに消えていった。3角形のものは製造工程の都合上安価にできず、あまり普及しなかった。ただし現在も3角形のものはほんのわずかに作られている。主に、幼い子に鉛筆の持ち方を指導するために使われる。
鉛筆が6角形なのは3本の指で持ちやすいという理由もあるが、同じ量の木材からもっとも多くの鉛筆を作れるのが6角形だからという理由もある。6角の次に丸が経済的で、3角などは木材を多く消費する。
イギリスの次に鉛筆生産国になったのはドイツだった。20世紀初期まで、主な鉛筆輸出国はドイツだった。しかし、第一次世界大戦が起きるとドイツ製鉛筆が入手できなくなり、1915年ごろからは日本製のものが世界で使われた。ただし、日本製のものは両端にしか芯のないキセル鉛筆など粗悪品が多く、国際的には評価が低かった。第1次世界大戦が終わると日本製品の輸出は極端に低下した。
しばらくはドイツと日本が主な鉛筆製造国だったが、第二次世界大戦の影響で、1940年代はどちらの国も輸出がほぼ止まった。
印刷付き鉛筆は、1949年、日本のトンボ鉛筆が最初に製造した。これ以前は印字は箔押しであった。精巧な曲面印刷技術を用いたものは、1951年までに、日本の伊藤意匠研究所(現在のいとう鉛筆意匠)創業者伊藤一喜と本多鉛筆印刷の本多信によって始められた。これにより、社名等を印字した贈答用鉛筆が多く作られるようになった。
日本の鉛筆の歴史
鉛筆が日本に入るのは早かった。17世紀初頭に使われた徳川家康と伊達政宗の鉛筆が保存されている。ただし、定着しなかった。長崎などの限定した地域で若干が輸入された可能性があるが、本格的に輸入が始まるのは19世紀後半、明治時代になってからだった。明治初期の日本では鉛筆は珍しく、東京や横浜の輸入品専門店で少量が売られるのみだった。日本での鉛筆製造は、1874年、ウィーンで鉛筆製造技術を学んで戻った2名の政府伝修生井口直樹と藤山種重によって製造法がもたらされ、同年、小池卯八郎によって始められたとされる。小池の製造は1890年までは続いたがその後記録がない。このほかにも若干の製造者がいたが、どれも長続きしなかった。現在まで続く製造業者は後述する真崎鉛筆製造所が最も古い。
このほか、安政年間に仙台の士族樋渡源吾が少量の鉛筆を生産し売ったという記録もある。
日本で最初の鉛筆の量産は、1887年、東京の新宿で、真崎鉛筆製造所(現在の三菱鉛筆)創業者真崎仁六(まさき にろく)によって開始された。なお、三菱財閥とこの会社は昔も今も全く関係がなく、「三菱マーク」は真崎鉛筆が最初に使用し、後から三菱財閥が許可をとり使用した。財閥と真崎の合併の話も出たが、真崎によって断られた。
日本では長く文書を毛筆で書くしきたりがあり、鉛筆の普及は遅れた。1885年、英語教育に関する書籍が相次ぎ発刊され、同年、大量の鉛筆がアメリカから輸入された。この頃から学校では徐々に鉛筆が使われはじめるようになった。
1901年に、逓信省(現在の日本郵政公社)が真崎鉛筆を採用。郵便局内のみとはいえ、全国に鉛筆が供給されるようになった。この後1920年までに小学校で毛筆から鉛筆への切り替えが順次行われ、一般生活に深く浸透するようになったと考えられている。
第一次世界大戦中の、1915年ごろから輸出が本格化。日本の主要輸出品の1つになった。ただし質が悪く、大戦終了後に輸出は激減する。1940年代は第二次世界大戦の影響で輸出がほぼ停止した。輸出は大戦後に復活し、現在に至る。
雑貨統計によれば、日本の輸出量は1950年ごろが最大で188万グロス。1997年は45万グロス。日本製鉛筆の生産高は1966年ごろが最大で962万グロス。1997年は367万グロスであった。
徳川家康の鉛筆
徳川家康は1616年に死んだ。徳川の鉛筆は、現存する日本で最も古い鉛筆である。徳川の鉛筆はけずる種類のものである。鉛筆は、久能山東照宮で、硯箱に入った状態で発見された。硯箱は1664年に作られた宝物目録『具能山御道具之覚』に記載があるが、鉛筆の記載はない。硯箱に入っていたことから、徳川のものとされる。
大きさは、長さ11.7cmで芯の長さは6cm、先はけずってあり、太さ0.7cm、重量6g。産地は日本ではなく、黒鉛、軸木ともに外国産であるが産地ははっきりしない。黒鉛はメキシコ産に質が似ている。軸木は中米かフィリピン産。製品そのものはスペイン製である可能性が高いと考えられている。
伊達政宗の鉛筆
鉛筆は、伊達の墓地である瑞鳳殿の発掘調査団長伊東信雄により発見された。伊達の鉛筆は、先端に黒鉛の塊を詰めるもので、原理的にはゲスナーの使用したものに近い。伊達は1636年に死んだ。副葬品の中から見つかったため、伊達の愛用品であったと考えられている。
発掘は1974年に行われ、鉛筆は発掘品の中から1988年に発見された。全長7.4cm、太さ0.4cm、芯は先に詰めてあり、芯の長さ1.3cm、最大直径0.43cm。キャップがついていた。キャップは木製で長さ3.0cm、直径0.6cm。鉛筆はさらに木筒に収められた状態で発見された。軸の素材はササで、日本産かその近種。芯は何かで固めてあるが、当時ヨーロッパで使われたと考えられる硫黄やアンチモンは検出されなかった。黒鉛の産地は不明。
輸入品の鉛筆を愛用した伊達が、配下のものに命じて自分の使いやすいものを作らせた可能性がある。
伊達の鉛筆は発掘後極端に風化し、現在は原型をとどめていない。ただし、完全に風化する前に複製品が2つ作られている。
硬度表記
一般に、黒鉛の多い芯はやわらかく、濃い。黒鉛の少ないものは硬く、薄い。硬いものは芯が細く、やわらかいものは太い。当初、コンテは、芯の硬さに番号をつけ、一番硬いものを1とし、やわらかくなるにつれて番号を増やして表したがこの方式は普及しなかった。
HとBの記号を最初に使った鉛筆製造業者は、19世紀はじめのブルックマン (Brookman) で、HはHard、BはBlackを意味した。Bより濃いもの、Hより薄いものは、当初BBやHHと書かれたり、2Bや2Hと書かれたりもした。HBはのちにHとBの中間として使われはじめた。Fはさらにその後にHBとHの間を表す記号として考案された。1830年代末までには、BBからHHHまでの7種類(HBとFを含む)の鉛筆を作る業者が出現した。濃さの表記は当初はさまざまな表記があり混乱したが、現在はほぼこの形に落ち着いている。
アメリカ合衆国の表記
アメリカ合衆国では、硬さを番号でつけている。ただし、コンテとは番号の付け方が逆である。対応表は以下のとおり。#1 = B #2 = HB -- もっともよく使われる。 #2 1/2 = F -- 2-4/8、2.5、2 5/10と書かれることもある。 #3 = H #4 = 2H
Fの表記方法に混乱があるのは、2 1/2という表記法が商標登録されていることに由来する。
日本の表記
1942年から1945年ごろの極めて短い期間、日本では、ローマ文字による硬度表記が禁じられた。この時期の表記と現在の表記の対応表は以下のとおり。 二軟 = 2B 一軟 = B 中庸 = HB 一硬 = H 二硬 = 2H
製造法
根本的な製造法は、コンテの時代からほとんど変わっていない。黒鉛を湯と混ぜ、不純物を沈殿させる。粘土も同様にして不純物を取り除く。両方とも絞って水分を除いたのち、2つをあわせ、水をいれてこね合わせる。比率は硬さによって異なるが、硬さHBの場合およそ7:3の割合で黒鉛が多い。この後に長く延ばして乾かす。現代の丸い芯は、細い穴から押し出す方式がとられる。次に焼き上げる。焼きあがった芯は油などに入れられる。これは主になめらかに書けるようにするためである。
軸になる木は最初は板の形をしている。これに数本の溝が作られ、接着剤が塗られる。溝に芯を置き、上から同じ形の板をかぶせて圧着させる。日本・アメリカでは木は北米産シダー材が使われる。インドではヒマラヤスギが使われる。接着剤は初期にはニカワが使われた。
板状の鉛筆の元は、けずられながら6角形の形にされ、数本の鉛筆に切り分けられる。次に塗装と印刷が施され、鉛筆としてはほぼ完成する。丸い鉛筆は、6角形のものに比べ無駄になる木材が多いため、あまり製造されていない。
消しゴム付き鉛筆の場合、鉛筆の先に金属の輪がはめられ、次に消しゴムがつけられる。輪には内側にギザがあり、これで鉛筆と消しゴムを固定している。
現在では軸にプラスチックを利用したものも存在する。日本でも製法特許をとったメーカーが存在するが、市販品にはほとんど存在しない。
外部リンク
日本鉛筆工業協同組合 The Pencil Pages!