興福寺
興福寺 (こうふくじ)〒630-8213 奈良市登大路町48
南都六宗の一つ法相宗の本山。南都七大寺の一つ。 南円堂は西国三十三箇所第9番札所。
起源と歴史
藤原鎌足の遺志により夫人の鏡王女が山城国山科(やましな)に創建した山階寺(やましなでら)が起源で、藤原京に移って厩坂寺(うまやさかでら)と称した。平城遷都の際、和銅3年(710年)藤原不比等の計画によって移され、「興福寺」と名付けられた。その後も、天皇や皇后、また藤原家によって堂塔が建てられ整備が進められ、奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護された。平安時代には春日社の実権をもち、大和国一国を領し、鎌倉・室町時代には幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たる。文禄4年(1595年)の検地では、春日社興福寺合体の知行として2万1千余石とされた。
伽藍
東金堂・南円堂・北円堂・三重塔・五重塔などがあり、貴重な文化財多数を存する。中金堂の一郭は1717年(享保2)の火災後再建されていない。 一乗院 興福寺の門跡寺院。970年(天禄1)定昭の創立。 大乗院 興福寺の門跡寺院。1087年(寛治1)隆禅の創立。 双方とも摂関家の子弟が入室し、研鑽に励むが、明治の神仏分離令により廃院。
宝物
天平時代の『十大弟子像』『八部衆像』、白鳳時代の旧山田寺蔵の『仏頭』、板彫『十二神将像』、北円堂の『四天王像』、運慶作の『無着・世親像』、康慶作の『法相六祖像』、康弁作の『天燈鬼・竜燈鬼像』など、国宝仏像彫刻を多く保存する。その他
南都奈良を代表する大寺院のひとつであるにもかかわらず、興福寺には山号がない。かつては月輪山(がちりんざん)という山号を名乗っていたようであるが、現在では使われていない。伝えられるところによると、「月輪山」の山号を掲げた南大門の付近で水が突然噴出するなどの怪異があり困り果てているところ、一人の僧の夢に「月の字は水に縁ある為なり」とのお告げがあり、その額を外したところその現象はピタリと収まった。そのため以後興福寺では山号は使われなくなったという。山内にはその額を埋めたとされる「額塚」が残っている。