論理学
論理学(ろんりがく)とは、人の理性のはたらき、思考の形式と法則を考究の領域とする学問であり、広い意味での哲学の一分野である。科学としての論理学は、推論と議論の構造を定義し、その過程にみられる法則を導き出すことを目的とする。
アリストテレスの三段論法
学問としての論理学をヨーロッパで最初に整備したのはアリストテレスである。西洋では、思考の中から「概念」や「観念」を捨象し分析し研究する、形式論理学が古代、中世、近世を通じて形成され、発展してきた。アリストテレスはギリシャ語で言語、論理を意味するロゴス(logos)から「ことば」の学としてのロギカ(gr. ta logica)を構想した。現代のヨーロッパ各国語で論理学を意味する語はみなこの語に由来する。アリストテレスは「大前提」、「小前提」、「結論」という三つの命題の組み合わせによる推論規則としての三段論法(gr. syllogismos)について講述した。アリストテレスの著作は中世西ヨーロッパには完全に伝わらなかったため、初期スコラ哲学まではアリストテレスはもっぱら論理学者として理解された。とくに重要となった源泉はポルフィリオスによるアリストテレス注解であり、スコラ哲学における論理学書は多くポルフィリオス注解の形で書かれた。学校が整備されるようになると、論理学は自由七科の一部門として専門諸学を学ぶ前の予備学として教えられた。中世ヨーロッパの重要な論理学者にはボエティウス・アベラルドゥス・ウィリアム・オッカムなどがいる。
ライプニッツの「普遍言語」
近世においてはライプニッツが今日の数理論理学の先駆となる「普遍言語」を構想した。これは多種多様な自然言語に対して、命題の統一的記述を与える人工言語の構想である。ライプニッツ=ヴォルフ学者に属する哲学者バウムガルテンは、伝統的な上級認識能力すなわち理性の論理学に対して、下級認識能力の論理学としての感性学を提唱し、これをギリシア語で感覚を意味する aisthesis によって aesthetica と名づけた。ここから今日の美学が哲学の領域として確立していく。
数理論理学
19世紀後半にはジョージ・ブール、オーガスタス・ド・モルガン、ゴットロープ・フレーゲなどが言葉の代わりに数学の演算規則をあてはめ、「概念」や「観念」を記号に変換して研究する数理論理学(記号論理学)を整備し、大きな研究成果をあげた。 これらの論理学の大きな特徴のひとつは、アリストテレス以来の諸命題の関係を問う命題論理ではなく、主語と述語の関係を問う述語論理を扱うことである。また古典論理学では十分でなかった全称命題と単称命題の関係が量化子の導入によって明確にされた。(詳細は数理論理学を参照せよ)
不完全性定理
20世紀に入るとバートランド・ラッセルとアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは、数学は論理学の一分科に過ぎないとする論理主義を提唱した。彼らは、その著書『数学原理』 (Principia Mathematica)において、述語論理の基礎法則を用いて、無から数学の全体系を再構築しようと試みた。この試みによって、形式論理学が数学において強力な道具になるということを示したが、彼らの目的が完全に達成できたとは言いがたい。ラッセルらの仕事を引き継いだのがダフィット・ヒルベルトである。ヒルベルトは完全性と無矛盾性を併せもつような数学全体を導くためには、適切な公理集合を見出すことが重要であることを明らかにし、このような公理集合を見出そうと試みたが(ヒルベルト・プログラム)、実現することはできなかった。
1930年、クルト・ゲーデルによって不完全性定理が発見された。 これは「公理集合が無矛盾であれば、内容的には真であるが、証明できない命題が存在する」というものである。 すなわち、いかなる論理体系においても、立証も反証もできない灰色の領域が必ず存在することが示されたのである。 これによって、論理によって万物を解き明かそうという、ラッセルやヒルベルトの野望は完全に潰え去った。
論理学の分野
弁証法的論理学 形式論理学 数理論理学 二値論理学 多値論理学 様相論理学 演繹論理学 帰納論理学 命題論理学 述語論理学
この記事はスタブ(書きかけ)です。この記事を加筆して下さる協力者を求めています。