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自由主義

自由主義リベラリズム)は、個人が自分自身の判断にもとづいて行動することを最大限に尊重する思想政府をはじめとするあらゆる権力による個人の活動への干渉を排除する。市場経済を重視する。とくにアメリカ合衆国において、無視し難い重要な位置を占めている。

歴史的起源とその展開

「政府は、共同体一人ひとりのメンバーを強力な権力でつぎつぎと押さえ込み、都合よく人々の人格を変質させたあと、その超越的な権力を社会全体に伸ばしてくる。この国家権力は細かく複雑な規制のネットワークと、些細な事柄や制服などによって社会の表層を覆った。そのために、最も個性的な考え方や最もエネルギッシュな人格を持った者たちが、人々を感銘させ群集の中から立ち上がり、社会に強い影響を与えることができなくなった。 人間の意志そのものを破壊してしまうことはできないが、それを弱めて、捻じ曲げて、誘導することはできるのだ。国家権力によって人々は直接その行動を強制されることはないが、たえず行動を制限されている。こうした政府の権力が、人間そのものを破壊してしまうことはないが、その存在を妨げるのだ。専制政治にまではならないが、人々を締め付け、その気力を弱らせ、希望を打ち砕き、消沈させ、麻痺させる。そして最後には、国民の一人ひとりは、臆病でただ勤勉なだけの動物たちの集まりにすぎなくなり、政府がそれを羊飼いとして管理するようになる」(アレクシス・ド・トクビル Alexis de Tocqueville(1805年 - 1859年)『アメリカの民主体制』より)

「人民の2人の敵は犯罪者と政府である。したがって、第2(政府)が1番目(犯罪者)の合法化バージョンにならぬように、憲法の鎖で羽交い締めにしよう。」― トマス・ジェファーソン Thomas Jefferson(1743年-1826年)

自由主義の哲学的、思想的源流をさかのぼると、17世紀イギリスのジョン・ロック John Locke(1632年 - 1704年)の思想に行き着く。ロックは、人間は生来自由で可能性に充ちた生き物であり、いかなる人間にも自らの自由な意思と選択で生きることが認められていると主張した。この権利は「自然権 (ナチュラル・ライツ Natural Rights)」として個々の人間に生まれた時から備わっているものであり、誰からも妨害されることはない。人間は誰もが、個人の自由な意思に基づいて人間は自らの判断で思想も宗教も生き方や生活のスタイルも自由に選ぶことができると主張した。当時、市民の生活に強力な王権で干渉し、人々の財産までその一存で奪うことができた絶対主義政府の国家権力に対抗する思想としてロックが生み出した主張が、リベラリズムの始まりであると言われる。

ロックはさらに、この個人の自由に生きる権利を実際に行使するためには、専制的権力者や独断的な政府政策、政治制度や社会制度の一方的な主義や主張、イデオロギーなどによって勝手に奪われてしまうことのない自分の「財産」を所有する必要があると主張した。

スコットランドの古典派経済学派(クラシカル・エコノミクス classical economics)の学者であるアダム・スミス Adam Smith(1723年 - 1790年)はロックに続いて、そのために、政府の干渉や介入政策を受けない、自由な経済環境(自由市場)における自由な経済活動が必要だと説いた。そして、自由な政治と経済体制のもと、自由な市民による自主的な合意によって制定される「法律」と、自由な意思を持つ個人どうしの自発的で主体的な裁量によって結ばれる「契約」によって初めて、各人がこの「所有権」を保障され、自分自身や自分が自由に生きるために必要な自分が占有できる財産を得るのだと主張した。「政府」の真の役割とは、こうした個人の権利を「守る」ことに限定される。これを破ってその国家権力を乱用し人々の自由を奪った時には、市民が抵抗権, 革命権を行使しその政府を交代させる権利を持つのだと彼らは主張した。

このイギリスの自由主義(リベラリズム)の思想が18世紀にアメリカに渡り、米3代大統領トーマス・ジェファーソン Thomas Jefferson(1743年 - 1826年)らアメリカ建国の中心人物たちであるファウンディング・ファーザーズ=建国の父達(Founding Fathers) によってアメリカ建国の国家思想として引き継がれた。彼らは、巨大な国家権力で人民を縛り付けたイギリスの政府支配体制に対抗してイギリスを離れ、新天地アメリカに王権にも専制政府権力にも統制を受けない、独立した市民による自発的な人々の自由な市民社会の設立を目指した。建国後に建国の父達は人民の基本権を守るために権利章典を制定した。

自由な市場経済がその社会の豊かさを人々の自由な生産活動と主体的な商取引により継続的かつ自然に支えている。政府の独断による「計画経済政策」や「市場介入措置」で人々の自由な経済活動や市場に介入し、様々名目で個人の資産から税金を徴収することで、人々の稼ぎを勝手に略奪してしまうこともない。こうした政治的にも経済的にも自由な社会の枠組みの中では、市民一人ひとりが主体的で自由な経済活動を行い、社会的・政治的な取組みを思うとおりに続けて行くことができる。

人々が主体的に自分たちの信ずるままに挑戦する自由がある。もちろん人間には「失敗する自由」もあるのだ。失敗からしか学べないことは多い。それまでも政府が、過保護福祉制度や悪平等主義の押し付けにより個人から奪い取っているのだ。ハーバート・スペンサー Herbert Spencer(1820年 - 1903年)がリベラリズムの思想的根源を以下のように主張している。

「諸個人には、他の人たちが持つ平等の権利を尊重する限りにおいて、何であれ自分が望むことを行う権利があるのである。政府の役割は、外国からの攻撃や、犯罪者からの殺人、強姦、窃盗、暴行、詐欺などから個人の権利を擁護することにある。そしてもし政府がそれ以上のことをしようとするなら、今度は政府自身が我々の権利と自由を奪うことになるのだ」 

この基本的な認識に基づいて、自由な市民社会を築き上げて行くことを目指すのがリベラリズムである。

しかしながら、アメリカそして先進世界では18世紀以降、社会主義共産主義福祉国家などの思想や制度が広まるにつれて「政府」の役割や規模が拡大される一方の時代が続いた。20世紀に入り、こうした肥大化した「国家」や「政府」のあり方とその政策の非効率さによる市民の負担の大きさに疑問をもち始めた人々によりこの17世紀の自由主義であった「真のリベラル」の思想に改めて脚光が集まった。

リベラリズムの主張とそれによる国家・政府批判

市民一人ひとりが、自分の人生における自分自身の幸福 (Happiness) を、誰にも干渉されること無く自由に追求できる社会環境と政治・経済体制の必要性を説く思想が、本来のリベラリズムである。よって、リベラリズムの敵は、大きくなり過ぎた「政府」であり、彼らが押し付けてくる税制や軍事制度、福祉政策と、それを正当化させている偽善的「平等主義」、「人権主義」や「軍国主義的軍備拡張」思想である。

21世紀を迎えた世界で、「国家」や「政府」が、非効果的・非効率的な仕事しかできないことは今や常識とも言えるほど明確な事実である。透明性を欠き、財政赤字を累積し続ける国家予算を賄い、既に破綻したと言われる各種公的年金や政府による社会保険制度をただただ維持させるために、私たちが必死に稼いだ収入や、家族から代々引き継がれる大切な資産から大きな税や社会保険料が取りこぼしなく徴収される。

(それが、はたして何に使われているのか少し考えてみれば、われわれ市民がいかに政府からその資産から生活の自由まで略奪されているかという事実に怒りが込み上げてくる。一部の政府権力者たちの独断で決行された、もはやわれわれ国民の意思も声も反映していない政府政策や公的制度や施設の数々。人々はもはや政府にも、そして政治そのものにも愛想を尽かしている。それでもその政府の繰り出す万年代わり映えのない政策や制度のために、毎月毎月苦労して稼いだ給料から50%近くも吸い上げられている。天引きだから、もう面倒くさくて正確にどういう項目でどれだけの金額が徴収されているのか確かめる気力も起きず、だらだらと「政府」がやっている「何か」のために払わされ続けている。)

国家の権力や機構は、恐ろしく膨張されることも簡単である。例えば、「有事」になれば、いつのまにか「増税」をして必要な資金を国民から巻き上げ、戦力が必要になれば「徴兵令」を発動して、国家を守るために大事な息子や自分自身の身体まで有無を言わさず取り上げられてしまう。そして、その軍事組織だけはどんどん拡大化し、市民は口出しすることも、抵抗することも不可能になる。過去二回の大戦や、朝鮮戦争ベトナム戦争、そして今まさに侵攻中のイラク戦争が、その事実を物語っている。

アメリカでも日本でもその政府が甘言を弄して、人々に真の幸福と繁栄と自由を約束したさまざまなイデオロギー(共産主義社会主義福祉国家、人権思想、平等思想、民主主義、そしてニューディーラーグローバリストネオコンらが唱えるアメリカの経済力・軍事力による世界平和など)はどれも悲惨な結果で、大量の市民に犠牲者が出た上に、政府経済は破綻し国の借金だけが積み上げられている。

政府が勝手に権力を振り回して、判断を誤って、国民を教育やマスメディアで煽り立てて教育で洗脳・先導し、世界大戦に人々を二度も引きずり込んだ。国家のため、正義のため、世界平和のためと言って、国家予算に大赤字を上塗りして、アメリカに脅されて引っ張られてイラクまで行ってはどうやら、嘘の口実やでっち上げの正義のために、地元の一般市民への爆撃作戦を支援しているようだ・・・・

福祉制度や社会保険制度、年金制度も大きな権力機構である。国営のこうした金融制度は、その運用資金はすべて有無も言わせず国民の給料や収入から天引きになっている。これは、強制的収奪以外の何ものでもない。その上この制度ができてから、人々は自分の老後は自分で考えて自分の責任でお金を準備するという人間の知恵と意欲を失った。政府が老人の面倒をみるようになってから、年寄りはその子どもや家族が責任と愛情を持って面倒を見るものだという人類の当たり前の習慣も消え去った。

昨今は気の利いた経済政治評論家は、公的年金制度は既に破綻しているから、これからは自分で自分の資産を守ることを学ばなくてはならない。そのためには、若い頃からの教育が重要だと言い出している。しかし彼らは、人々が自分の資産も自分で守れなくなったその真の原因には決して触れない。

教育が思うとおりに改革できないのも、学校そのものが、60年も昔に制定されたガチガチの国家統一指導内容統制による洗脳教育体制に管理されたままだからという、当たり前の事実には触れたがらない。だから、いくら自由な発想で新しい学校や教育スタイルを実現させようという積極的でアイデアと情熱に満ちた人たちも、政府が規制を掛けたり干渉したり見えない圧力で少しずつその意欲を失い、結局いつまで経っても新しい教育など実現されることはない。

経済評論家も、大学教授も誰も、新しい政策や思想を社会に提示するのブレインであるべき立場にあるのに、結局は国家や政府が恐いから、政府政策が行き詰まって世の中が悪くなる一方であるのに、この本当の原因である国家政府によってがんじがらめに張りめぐらされた政策のまずさを公にあげつらって批判したり、その改革や撤廃を主張する意欲も動機も喪失している。自由な意思と発想を持つ市民によって、主体的に新しい解決策を創造して行きましょうという一言が誰にもいえない。本当のこと、つまり政府の失策やその存在の有効性うんぬんを言ったら、政府からの大学への補助金も出なくなるし、市民ではなく「政府の」代弁者であるマスコミでも取り上げてもらえなくなる。

サラリーマンは、「集合主義(collectivism)」や「社会主義」を絵に描いたような企業に毎日通い、国家政府からの補助金や談合、護送船団、通産省 (MITI) の指導のもと横並びで成長させられた国家管理型経済体制のなか、いちロボットととしてその生涯の自由を奪われ、長年同じような環境で同じような分担の職務をただひたすらこなすために、ラッシュの電車で会社まで運ばれ、夜は仕事が終わるまで帰ることができない。

この生活を20年も30年も続けていれば、最後には人間の意志や意欲は麻痺する。家族を大切にする時間も気力もとうに失せ、政治にも社会活動や奉仕活動に捧げる余力も残らず、近所づきあいも世の中にも興味が持てなくなる・・・ 日本のサラリーマンをここまで酷使してボロ雑巾のようにしてしまったのは、まさに日本の政府による管理統制型の社会制度、経済政策である。そしてこのゆがみやひずみは、今の現役の家族を抱える中年世代と、就職してまだ数年の若い世代の日本人サラリーマンの中に現れてきている。

もういい加減に「政府」という機構は信用できない。訳の分からない税金はもうこれ以上払いたくない。自分たちのことは自分たちで決める、自分たちの家族の安全は自分たちで守る。資産の防衛も自分たちで考えて好きなようにやるよ。自分たちの地域の困っている人にも、政府が何とかしてくれといって他人頼みでほっておくのではなくて、自分たちで、ホームレスや差別の問題なんかも解決できるよ。 昔はあったはずの、町内会や近所どうしの助け合いという形がやっぱり一番効果的だったじゃないか。だから、どうか自分たちに政治も経済も福祉もまかせてくれ。どうか税金や社会保険金なんか勝手に取り上げて、効率が悪くて赤字だらけの年金制度、福祉制度、社会保護制度等々破綻しているくせに役人がその仕事を失いたくないから続けられている、なんていう制度のために無駄使いしないで。自分たちに自由な商売と資産管理をやらせてくれ。こう主張するのが、この17世紀の本来の自由主義者である「真のリベラル」たちの主張である。

アメリカにおける真の自由主義=真のリベラリズムの現在

アメリカでは、真の自由主義者たちは政府による銃規制反対、麻薬規制反対、煙草規制反対、売春規制反対、そして、ゲイレズビアン容認、、賭博容認、妊娠中絶(妊婦がその自由意思で選ぶ権利)の容認など現代社会におけるあらゆる分野の問題に関する政府からの規制や倫理・価値観の押し付け政策にも強く反対している。個人の自由な選択を優先し、政府の規制に徹底的に反対するが、幅広い市民層をリベラリズムに引き寄せている。さまざまな分野で、いかに政府が独断的な規制をかけているかという現実に常に焦点を当てている。 リベラリズムとは、自らの価値観や行動に責任を持ち、自発的に生き方や思想を選びながら暮らして行く大人たちの生活に、政府がいかに干渉し「権利」と「自由」を抑圧しているのか、という現実生活のレベルから立ち上がった政治思想である。したがって、共和党も民主党も右も左も同じようなことしか言わなくなった現在のアメリカ政情の中、自分たちの真の自由を求め続ける本物の近代市民たち、個々人の手に政治を取り戻し、経済活動の自由と自立の確立を目指すアメリカ人民衆が、この真のリベラリズムの思想にその活路を見出しつつある。

リベラリズムという言葉の混乱

歴史的用語としてのリベラルという言葉と現在流布しているリベラルという言葉・或いは政治的立場は以って非なるものである。現在使われている"リベラル"の意味は社会民主主義的立場のことを主にさすが、アメリカの根幹にある、"古典的リベラリズム"とは自己責任の追求と権力の不干渉の意味で、またアメリカ人はそのために国を作ったのですが、その思想の事を現在ではむしろ"保守主義"というふうに呼ばれている。つまりアメリカ人は"古典的リベラリズム"を"保守している"のであってそれが封建制度の遺産のある、またはそこからの解放(リバレイト)を願ったヨーロッパや日本との違いである。




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