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道路

道路どうろ)とは、歩行者などが通行するために設けられた通路である。

一定の線形と幅員を有し、表層・基層・路盤などの舗装体と、それらを支える路床とからなる。また、道路と一体となって利用される隧道・トンネル、横断歩道橋や横断地下歩道などの施設も含む。最も基本的な交通施設であり、自動車交通の発達に伴い近代化された。

道路の分類

道路法では国道一般国道高速自動車国道)・都道府県道市町村道(特別区道を含む)のみを「道路」としているが、一般にはそれ以外のものも「道路」と呼ばれる。道路法の規定によらない道路には、以下のものがある。 • 道路運送法による自動車道(一般自動車道・専用自動車道) • 土地改良法・農用地開発公団法による農道(農免道路・広域農道) • 森林法・林業基本法・森林開発公団法による林道 • 漁港法による漁港施設道路・漁免道路(漁免道路は完成後は道路法上の道路となる) • 港湾法による臨港道路 • 鉱業法・金属鉱山等保安規則による道路 • 自然公園法による公園道・自然研究路・長距離歩道 • 都市公園法による園路 • 国有財産法による里道 • 私道 道路交通法や道路運送車両法の規定は、一般の交通の用に供される全ての道路について適用される。

道路法に基づく道路は、管理主体による分類の他に、道路構造令に基づいて、道路の規模により第一種から第四種に分類され、それぞれはさらに、計画交通量によって第一級から第五級に分類(交通量が少ないほど級の数字が増える)される。 道路の建設を計画する際には、区間ごとにどれに分類するかを決定し、それに基づいて設計が行われる。 • 第一種:地方部の高速自動車国道及び自動車専用道路(平地部1~4級、山地部2~5級) • 第二種:都市部の高速自動車国道及び自動車専用道路(1~2級) • 第三種:地方部のその他の道路(平地部1~5級、山地部2~5級) • 第四種:都市部のその他の道路(1~4級)

また、走ることのできる車種による分類として、自動車専用道路、自転車専用道路、歩行者専用道路、自転車歩行者専用道路がある。道路の一部分を限って自動車の通行を制限している場合は、歩道、自転車道、自転車歩行者道という。

高速道路

自動車等が高速で走れるような構造になっている道路を高速道路という。

高速道路のうち、高速自動車国道および一般国道の自動車専用区間の一部は日本道路公団が建設・管理を行う。首都高速道路阪神高速道路は都府県道または市道であるが、首都高速道路公団阪神高速道路公団がそれぞれ建設・管理を行う。これらの3公団に本州四国連絡橋公団を加えて道路関係4公団という。

日本の道路の歴史

古代

人々が生活する場所には、自然発生的に道ができた。それ以外の場所では、「獣道」が次第に踏み固められ、沿いや尾根伝い、低いなどに主要な道路が形成されて行った。日本書紀神武天皇東征の件りで、河内国から大和国に兵を進めた様子を書いた記述、「皇師兵を勅へて歩より龍田に赴く。而して其の路嶮しくして、人並み行くを得ず。」が、日本の書物の中での道路についての最も古い記述であるとされている。当時の道路が、人が2列で行進することができないほど狭いものであったことが判る。

その後、計画的な道路が作られるようになった。日本書紀の推古天皇21年(613年)11月の記事に、「難波より京に至る大道を置く」とあり、これが日本における道路整備の最初の記述とされている。当時の京は飛鳥にあった。

646年孝徳天皇の「改新の詔」により、地方に国司・郡司を置き、中央と地方の官庁とを結ぶ「駅路」が整備されることになった。駅路には30里(約16km)毎にが設けられ、輸送機関として駅夫・駅馬が置かれた。駅路は京(畿内)を中心に放射状に作られ、特に山陽道東海道東山道山陰道北陸道西海道南海道の7路線を「七道駅路」として重点的に整備した。これら七道の呼称は、道路を指すだけでなく、その道路によって結ばれるの総称としても用いられた。この内、京と太宰府とを結び最重要視されていた山陽道を「大路」、東国へ向かう東海道・東山道を「中路」、その他を「小路」と呼んだ。 これらの道路は、小さな谷は埋め、峠付近は切り通しにするなどして、できるだけ直線的に平担になるように作られていた。この傾向は、ローマ帝国におけるローマ街道にも見られる。

中世

源頼朝鎌倉幕府を開くと、山陽道に代って東海道が重要視されるようになった。しかし、この時代には、関東各地と鎌倉とを結ぶ鎌倉街道が作られた他は、大規模な道路整備は行われていない。

戦国時代には、各大名が領内の道路の整備を行い、特に武田信玄が積極的に道路整備を行っているが、軍事的な理由などから全国的な道路整備は行われなかった。そんな中、織田信長は全国統一を目指して道路整備の方針を制度化し、この思想が江戸幕府に引き継がれることになる。

江戸時代

江戸時代に入り、江戸幕府は全国的な道路整備を行った。その中心となるのが、幕府直轄の五街道である。五街道は4代将軍徳川家綱の時代に定められたもので、江戸の日本橋を起点とする東海道中山道甲州街道、奥州街道、日光街道の5つの街道のことである。五街道に繋がる街道(附属街道)のうち主要なものを「脇街道」または「脇往還」という。五街道とその脇街道で、本州中央部のかなりの地域を網羅していた。五街道沿いには原則として天領親藩譜代大名が配置された。また、交通上重要な箇所には関所や番所を置いた。

五街道と脇街道は幕府の道中奉行が直接管理していた。それ以外の街道は勘定奉行が管理をしていたが、道中奉行のような直接管理ではなく、沿道の藩に実際の管理を行わせていた。これは、五街道・脇街道以外の街道が外様大名の大藩の領地であることにも関係がある。

江戸時代の街道には、古代の駅路などに比べて、一般民衆の通行も多くなった。旅人は道路を見てその藩の状況を判断するからということで、各藩は道路の整備に気を配っていた。また、当時は、馬や駕籠は使われていたものの、交通の大半が徒歩であったことから、道路の傷みは今日ほどはひどくなかった。

平戸や長崎には、オランダ人の手によって、石畳による日本初の舗装道路が作られた。

(以下スタブ)

明治・大正時代

戦後

道路交通

• 日本では、車などが左側通行、歩行者が右側通行である。かつては人も馬・車も道路の左側を通っていた。これは、を左に挿しており、擦れ違う時に刀が触れないようするためと言われている、戦後、GHQが、アメリカ合衆国と同じく車が右側通行、歩行者が左側通行の対面交通とするよう指導した。しかし、日本の道路設備は左側通行に適するように作られており、これを右側通行にするには多額の費用が必要となることがわかった。そのため、車は今まで通り左側通行とし、歩行者のみ右側通行とすることとなり、1950年頃から実施された。アメリカ合衆国の施政下にあった沖縄県では、1978年まで車が右側通行だった。

関連項目

日本の道路一覧日本の高速道路一覧幹線日本の道百選道の駅

• 道路標識 • 国土交通省駐車場狭隘道路

外部リンク

国土交通省




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